読書記録

読んだ本の感想まとめ。

言葉屋2 ことのは薬箱のつくり方

第二章 言珠わんわん

「け、毛がはえた石かもしんないじゃん」
「なんでだよ。石なら、はげとけよ」
「じゃあ何? 天パのでっかいネズミ?」

意外にもしぃちゃんがボケ、須崎くんがツッコミに回ることがあるらしい。「石ならはげとけ」須崎くんの言葉のセンスが最高。高校あたりで学校が分かれても、ずっと関係が続いてほしい2人。

犬を飼った経験があると、身につまされる話。そしてこれから飼おうとしている人には必読の話。犬からしてみれば「突然現れては水をぶっかけてきたり、手の中の機械で良からぬことをやっている不審な人間」にしか見えないだろうに、吠え立てることはせずここまで無関心を貫けるのはすごい、と私も思う。もう人間に期待も嫌悪も何も抱けないのか。それほどの長い時間を、野良犬として過ごしてきたのか。だとしたらこの子が捨てられたのは、成犬になってからではなく子犬時代かもしれない。

犬のしっぽを振る動作や鳴き声を言葉と解釈したことはなかったけど、確かに言葉=意思疎通の道具と考えればあれは立派に言葉だ。人間以外の生物は言葉を操らないという認識でいるのは、人間の驕りなのかもしれない。

「犬は言葉に頼りすぎていない」
「犬は人の心を嗅ぐことができる」
「犬は言葉になる前の僕らの気持ちをたくさん知っているのかもしれない」
「心だけじゃなくて、犬には病気のにおいも分かる」
「犬の進化や変化は、いつも人間とともにあった、といっても過言ではないのかもしれない」

僕のワンダフル・ライフ」「僕のワンダフル・ジャーニー」を思い出して、鼻の奥がツンとした。人間は犬からたくさんの恩恵を受けているのに、人間は犬に何を返せているのか。

犬たちが、もしもそれを、呪いと感じていたら、どうしよう。

一見悲観的な考え方だけど、小6でこの捉え方ができるのは末恐ろしい。詠子ちゃんの精神年齢は間違いなく成人してる。人間が犬を食べてきた歴史については、知らなくてショックだったし大いに気になるけど、検索する勇気は出なかった。自分の子に対して口減らしとかをやっていた時代を考えると、人間と同じ言葉を持たない犬が食料とされるのも、あながちあり得ないとは言えない。

ペット=愛玩目的で一緒に暮らす動物 家畜=最終的に食料にする目的で飼われる動物 の違いがあると自分では認識している。でも牛や豚がよくて、何故犬や猫には嫌悪を抱くのか、私にも説明できない。最近よく話題になるヴィーガンと繋がる話でもあるような気がする。

それよりも、もっとおそろしいのは、今現在、人間が江戸時代の時よりずっと、その意味や感謝というものをないがしろにしているということだ。人間は今、犬との一万年の絆を食い散らかしている。それは肉を食べることよりもずっと、恥ずべきことだと、僕は思う。

絆を食い散らかす。衝撃的な言葉。確かに捨て犬や殺処分は、ないがしろにしていなければできないこと。犬に限らず、動物を愛玩しているすべての人間は100万回読み直すべき。

軽く調べたけど、太平洋戦争で十万頭以上の犬が犠牲になったのは、史実と考えてよさそう。怒りで手が震えるが、それをやらかしたのは自分の祖先なのだ。江戸時代より昭和初期の方が敬意が失われているということは、転換点は文明開化のあたりだろうか。人間社会の改革の裏に、動物との絆の崩壊があったのだとすれば、これからは近代の歴史を穏やかな心で読めない。

道教室のおじいちゃんが素直じゃなくて苦笑。最初から喜色満面の笑顔で抱き上げればいいのに。

言葉が人間だけのものだなんて、誰が決めたのだろう。詠子には聞こえていないだけで、きっと今も、詠子のまわりは、たくさんの木々の言葉や虫の言葉、春の言葉であふれている。

完全に同意。動植物は言葉を使わないのではなくて、人間が彼らの言葉を理解するだけの知能を持っていないだけだと思う。犬やインコの中には、人間の言葉を複数理解して操る個体もいるのに、悲しいかな人間は……。

言珠はきっと、わんこの背中を押したんだと思う。そう思った方が幸せだ。

おじいちゃんはわんこになんて名前をつけたんだろう。後日談でもいいから知りたい。→早速次の話で判明。小筆w 書道教室の先生らしいや。

第三章「大人の悪口」病

突然のしぃちゃん視点でびっくり。読み進めるにつれてその意味が分かった。なるほどこの話は、主人公視点でもおばあちゃん視点でも成立しない。しぃちゃんの脳内で、漠然とした人間の形が明確化されていく過程が興味深い。大人は自分の知っている情報がその人のすべてだという気になって罵詈雑言言う。そうやってマウントをしながらどうにかこうにか生きている。これは自戒でもある。

感情移入しすぎて心の均衡を崩したのか。物語の登場人物に感情移入するのは読み方のひとつだし、私もそうやって読むけど、その特性を現実に余すところなく持ち込むと、丈夫な心がいくつあっても足りない。路肩にいるティッシュ配りの兄ちゃんにまで感情移入してられるか。とはいっても彼女は息をするように相手の心情を察してしまうタイプだと思うので、感情移入する人しない人、その境界線を成長と共に明確にしていければいいと思う。いいんだよ。子供だから、まだできなくていいんだよ。

『子どもの悪口』と『大人の悪口』のちがいは,自分を守るためのものなのか、自分の大切なものを守るためのものなのかってことさ。

そんな綺麗なものかな?! じゃあSNSで人に死ねとか言ったり、存命の人物の葬式画像をコラージュしてゲラゲラ笑ってる人は何が大切だって言うのさ? と思ったけど、この人らが守ろうとしているのは「自分の自尊心」で、それってつまり「自分のための悪口」に他ならないのではと思い直した。精神年齢が小学生なんだな。可哀想に。

『大人の悪口』のやっかいなところは、いろいろな”正しい”があちこちにあるところだ。

その通りすぎる。子供の「正しい」なら、視野が狭い分案外シンプルなんだけど、大人は100人いれば100通りの正義があるから。そして人は正義のためにあらゆることを、時には法を犯すことすら正当化するから。

人の喜びや痛みを想像できる力は、世界をやさしくする。ただ、それが行きすぎてくせになってしまうと、やっかいだ。出会う人すべての痛みを、自分のものにしてしまうと、とても生きづらくなるからね。

真っ先に古典部シリーズの奉太郎とえるちゃんを思い浮かべてしまい情緒が死んだ。二人はこれすぎるので上記台詞を100万回朗読させたい(?)

人の心の中に入ったら、今度はちゃんと、出なきゃならない。

出られてますか二人は?? 入りっぱなしでしんどくなってないですか???(嗚咽)(面倒くさいオタク)

悪口は強い毒だけれど、なぜか自分にとっては一時の甘いお菓子になる。

毒を吐き出す瞬間は、毒に対して抗体があるのかもしれない。本来糖質は主食から十分賄えるはずなのに、お菓子が食事になってしまうこと、ある。

詠子が暗算タイプなら、アタシは筆算タイプっていうか……。どっちがいいとかじゃなくて、そういう言葉の出し方?みたいの、半分こできたら、いいなって思って……。

例えが秀逸。自分は言うべき時に暗算して、会話をあとから思い出して「あの筆算はまずかった」って反省する最悪の複合型なんだが、どうすればもうちょっとまともになるかなあ……。

第四章 心痛オノマトペ

どうしよう、間違えた。

この言葉から、前章でしぃちゃんが口にした「まちがったことは絶対言っちゃだめってこわがってる感じがする」は事実ということが分かり、心臓が収縮する。

身体表現性障害。え、これ私も若干経験があるのでは? うつ病で倒れる直前、頭痛に悩まされたし、何を食べてもゴムの味しかしなかったぞ。……ん、でも病気じゃないかと不安で居ても立ってもいられないというよりは、むしろその症状から目を背けていたから、やっぱり違うのかな。分からん。精神疾患は定義が難しい。

何がストレスかって聞かれて、即答できる子供なんている? 大人でさえ、ストレスの原因に自覚がなくて、気分の変動を1年以上記録し続けて、集まったデータを分析して、2年越しでやっと自分がストレスを誘引する事柄を理解し始めることだってあるのに。ストレスをストレスと自覚するって、当たり前にできることじゃない。

周りに可哀想扱いされるのを恐れて、自分の痛みに嘘をつく佐伯さんを見て、私も泣きたくなった。受験戦争は小学生のストレスをランキング化したら毎年トップ3には入ってきそうなストレスじゃん。「私だけじゃない」だあ? そういう価値観が、将来生理痛を市販の第二類医薬品で誤魔化し続けたり、職場環境のストレスに耐えた結果うつになったりっていう人生の綻び、あるいは崩壊に繋がっていくんだよ(特大ブーメラン)

「私だけじゃない」じゃなくて、他でもない自分が辛いなら辛がっていいんだよ。自分のストレス軸と他人のストレス軸をどうして同じものさしで測ろうとするのか。佐伯さんの心を労れるのは佐伯さんしかいない。にもかかわらず、自ら刃物で傷つけ続けている。これは自傷行為だ。

必要なストレスもあるだろうし、ストレスを全部消そうとしたら、何もできなくなってしまうだろう。

小6でこの結論に至れるって何? 人生二週目? 私、とっくに成人してるけど、ストレス=絶対悪、完全消去できるならそれに越したことはないってついこの間まで思ってたぞ。

おそらく佐伯さんは、言葉を吐き出すことで、ストレスという爆弾を人にわたすことが嫌いなのだろう。

それなすぎて泣ける。私も、人にぶちまけることで相手に枷を押し付けてしまうようで嫌。ぶちまけるとしても、事前に相手に「これこれこういう内容でこのくらいの時間ぶちまける」って伝えて、準備万端場を整えた状況じゃないと話せない。まあようするに、お金取って話を聴いてくれるカウンセラーさんに話すのが、一番罪悪感が少なくて済む。これは相手にとっては仕事、って思えるから。

うつ病=脳も心も体も全部突き指した状態、と言い換えることはできるかもしれない。

人って、考え方のくせみたいなのがあって、ひとりだけで考えてると、永遠に出られない迷路に入っちゃうことがあるんだって。

アーーーーー!!! 現在進行系の黒歴史を真正面から見せるのはやめてください!!! これでも、自分の思考を文章化する能力は発症以後培ってきたつもりなのです。

詠子ちゃんも真鈴ちゃんも納得のラストで、だけど子供騙しのハッピーエンドではなくて安心した。

第五章 刻み言葉と煮こみ言葉

瑠璃羽ちゃんは大成するタイプだと思った。「自分に負けられなくなる」って考えるのは、自分に厳しい証かと。

あとでつらくなった時、みんなが逃げ道をふさいでくれる。

こう言われると、一旦下り坂のレールに乗ってしまったら急降下して二度と這い上がれないんじゃないかって不安もありつつ、子供の頃からでっかい夢を宣言するタイプは成功するとも聞く(イチロー選手がいい例)。

小6なら、将来なりたい職業をイメージだけで語っていいと思うし、もしそういう希望がなければ、親や教師を安心させるためだけにほらを吹いてもいいと思う。12歳の時に語った夢が実現するなんてほんの一握りなんだし。瑠璃羽ちゃんや桐谷くんが、(意地の悪い言い方をすれば)子供らしくないだけで、詠子ちゃんが漠然とした自分を自責する必要なんてまったくない。

詠子ちゃんのおじさんもお母さんも、学生時代に夢を打ち立ててから実現させるまでの過程が崇高すぎて、畏敬の念を覚える。仕事ぶりを間近で見たわけでもないのに、仕事に誇りを持っているのが伝わってくる。私は仕事に対する誇りなんて、新卒1年目の時点で埃を被って汚れちまったよ(ギャグではない)。

お母さんが努力の鬼。むしろ努力という言葉が実体を持つとお母さんになりそう。勉強のスケールが大きすぎる。每日がテスト前+家事育児と両立なんて、人間業じゃない。すごいを通り越して恐ろしい。

職業は、そういうゴールに行くための道だから、もし、ひとつの道が行き止まりになっても、ほかの道が必ずある。なければ、つくればいいしね。

就活する頃になると、「理想論だけじゃ食っていけない、どこかの会社にしがみつかないと」って気持ちの方が勝つんだけど、小学生にそんな泥臭い感情はまだ早いから、職業名に縛られず色んな「なりたい」を語ってほしい。小学生の頃の夢は、それが実現できるかは周囲の大人は重視していない。子供の頃に描いた夢の力が、社会の歯車になった時の精神力にスライドされたりするから。

私も「将来の夢=なりたい職業」と思っていた子供の一人。「将来」って何年後の話かも断定されてないから、「◯◯高校に行って憧れの制服で高校生活を謳歌したい」って書いても間違いではない。

小さい頃から、やりたいことがある人は幸せだと思うけど、ない人はない人で、ラッキーだ。枠にとらわれずに、好きなだけ、自分の世界を広げられて、いつか自分がこれだと思えるものに出会えた時に、その大きな世界を思う存分にぶつけられるんだからね。

こういう発想はなかった。昔、将来の夢を偽っていた頃の自分と、今の迷える子供達にぜひ読んでほしい一節。

桐谷くんは絶対脈アリだと思うので、切られなかった繋がりを大切にしてほしい。涙の名前、心を温めている気持ちの名前を、いつか付けられる日が来るといい。