- 作者:飯間 浩明
- 発売日: 2019/03/25
- メディア: ムック
第1章 私たちのことばは同じでない
ことばは、変化することこそが本質です。その変化をむりやり止めると、ことばは死んでしまいます。
私は変化が苦手だが、言葉の変化から逃れて生きていくことはできない。言葉は生きている。変化することすなわち、生きること。
他人のことばを理解し、誤解を防ぐために、読書はきわめて有効です。
こんなに壮大なことを言われると、読書を娯楽としてでしか活用できていない自分としては恐れ多い。私は月平均10冊の本を読むが、だからといってコミュニケーションの質に変化があった実感はまったくない。読書で脳内辞書のデータを増やすことはできるけど、「他人の言葉の使い方を知ろう」という意識を持って読まないと、誤解の予防にはならないと思った。
第2章 時間が理由で起こる「つまずき」
言葉に対する理解が、自分と相手とでまったく同じだと思って会話してはいけない。自分の脳内と相手の脳内に、まったく同じ辞書があると思ってはいけない。
今はまだ、どちらかといえば変化した言葉に抵抗が少ない方だけど、四半世紀たった頃に変化が受け入れられなくなって、旧時代的な使い方をして、意図しない伝わり方をするならまだマシ。悪意なく相手を傷つけたり、ましてや自分の脳内にある使い方を「正しい」と信じて周囲に振りかざすような加害者にはなりたくない。
第3章 場所・場合が理由で起こる「つまずき」
方言、若者ことば、専門用語、世代間格差等々……同じ日本語という言語を操っていても、時と場合によって伝わらない可能性は多分にある。全然共通言語じゃない。それに例えばジャンルや地域や世代毎に言葉のテストがあって、そのすべてで満点を取ったとしても、必要な時に適切な言葉をアウトプットできなければ何の意味もないわけで。「伝わるだろう」という前提で会話をするのは、もはや驕りなのかもしれない。
第4章 「つまずき」を避ける方法
人間の脳は、厳密に表現されると、かえって分からなくなるんですね。ことばという道具は、厳密であるよりも、頼りないほうがいいのです。「つまずき」を生みかねないような頼りない部分があるからこそ、実際の役に立つのです。
歌詞の例えが秀逸。言葉が厳密だと困ると言われても、最初は意味が分からなかったけど、確かに厳密に指定すると情緒や余韻が消滅して味気なくなる場合がある。それに日本人は特に、曖昧に言葉を濁す機会が多いから、日本語が厳密だとそれが叶わずに無駄に軋轢が生まれそう。
- 念を押し、2度言う―話すとき
- 相づちを打ち、質問する―聞くとき
- 多義的なことばを排除する―書くとき
- 声に出して読んでみる―読むとき
私は黙読中でも脳内で音読するタイプで、読むスピードとしてはかなり遅い方なのだが、速読に対するコンプレックスが軽くなった。遅読でも何も恥じる必要はないし、むしろ著者が伝えたいことをできるだけ差異なく汲み取ろうと努力をしている証だと思うことにしたい。
ことばは伝わらないこともある、ではなく、もともと伝わらないものです。
辞書を編纂している言葉のプロに断定されると、いっそ清々しい。語釈を書きながら何度も無力感に襲われているのに、それでも編纂に取り組み続けていてメンタルが強すぎる。
『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』で京極夏彦が
世の中にはいいことなんか何にもない。地獄である。でも地獄だって面白がれれば面白い。地獄を楽しむために、非常にリスキーな大発明、言葉を利用してみよう。
と言っていた。この本の著者と言葉について論じ合ったら面白そうだ。
巻末のブックガイドの選書もよりどりみどりで有難い。
全体を通して「言葉」ではなく「ことば」とひらがなで表記しているのが不思議。意図を訊いてみたい。