読書記録

読んだ本の感想まとめ。

辞書を編む

辞書を編む (光文社新書)

辞書を編む (光文社新書)

これから接客、事務処理、車両運転等々あらゆる職種が自動化されると思うけど、編纂は、どれだけ時代が変わろうとも機械だけでは賄えない、人間の知恵が必要な仕事だと思った。辞書は社会生活を送る上での基盤。編纂に携わっている人、これからこの道を志そうとしている人には、誇りを持ってほしい。

各章の副題が辞書風になっているところに、著者と編集者のセンスを感じる。

はじめに

編纂=材料を集めて、辞書の原稿を書く。軽くググると編纂と編集は同義語として出てくるけど、こう説明してくれると違いが分かりやすい。

名探偵コナン 全事件レポート「編纂室」というサイトがあるけど、これもひとつひとつの事件が「材料」で、辞書寄りのコンテンツだから、編集ではなく編纂なんだろう。このサイト以外、日常生活で「編纂」という単語を目にしたことがなかった。

第一章[編集方針]

言葉は日進月歩で生まれては消えていくから、6年どころか2〜3年で改定しなければいけない時代がもう目の前まで来ているような気がする。そうなったら、インターバルの期間なんてほとんどないに等しい。

鑑あってこその鏡ではあるものの、より実用的という観点ではやっぱり実例主義の方に軍配が上がる。「国語辞典なんて何を買っても大して変わらない、だったら収録字数が多い方がお得」としか思っていなかったけど、辞書にもそれぞれ個性があるようだ。

でも私は小難しい言い回しをされても理解が追いつかないので、もし今中学生で、この本を読み終えたあとに国語辞典を一冊買ってこいと言われたら間違いなく三国を選ぶと思う。明治時代の文豪や古典に親しんでいる人でない限り、現代人は三国が一冊あれば十分そう。

国語辞典を引いたら「単なる言い換えで説明になってない」あるある。それで段々辞書を引くのが億劫になったりして。

「紙の本なんて重くて邪魔なだけだ、今は誰でも持ってるスマートフォンで何でも調べられる」と思ってたけど、ちょっと欲しくなってきちゃった、三省堂国語辞典

第三章[取捨選択]

本当に必要なことばを集めるためには、まず、あらゆることばを「おもしろい」と思うこと。未知のことばはもちろん、当然知っていることばでも、改めて別の面から眺めてみて、価値を再発見する。そういう姿勢が不可欠です。

編纂に限らず、読書、人生のあらゆる物事に共通して言えることだと思った。あらゆることを面白がれる人間の方が人生楽しい。私は、読書に関してはできるだけ面白がる努力をしているけど、嫌いなことや興味のないことにはからっきしやる気がないので話にならない。

「ことばのくずかこ」が書籍化されたその書籍名を教えてくれや。話題にしたならそこまで教えてくれるのが筋では?

第四章[語釈]

言葉のプロが語釈を書くのに、俗語の場合はTwitterも参考にすると知って衝撃。そうなのだ、非公開アカウントでない限り、ツイートは編纂者に拾われてもおかしくないのだ。每日何かが炎上しているし、最近では誹謗中傷も問題視されているし、パクツイとか無断転載とか問題は山積みで、SNSにおけるスラム街と言っても過言ではない存在だが、国語辞典の編纂に役立つこともあるとは。民度はともかく、情報のスピードと拡散力(要するに時代性がリアルタイムで反映される)という観点では、Twitterは群を抜いていることは確かだ。言葉のプロが自分のツイートを見ているかもしれない、という意識を持ってツイート文を書こう。

苦労した語釈が結局たった一行に集約されてて泣いた。私は文章を削ぎ落とすのが下手で、時間をかけた分だけこれは必要これも必要と膨らんでしまうタイプなので、「色紙にさっと一筆で描いた似顔絵、または墨絵のようでありたい」という価値観には敬服する。こういう書籍の中でしか実際の苦労を訴えられないなら、どんどん訴えてほしい。

第五章[手入れ]

言葉は孤立した存在ではなく、互いに緊密なネットワークがあるので、ひとつに手入れをすると他の言葉も芋づる式に影響を受けるそうだ。気が遠くなった。紙だろうが電子だろうがネットだろうが辞書は「言葉の定義書」なので、Excelみたいにあちこちリンクさせておいて一箇所変えたら他は自動置換、というわけにはいかない。

第六章[これからの国語辞典]

フリー百科事典も脅威だけど、辞書同士の収録字数の戦いの方が熾烈だと感じた。前者は「言葉のプロの知恵」「大衆の知恵の集合体」と棲み分けができるけれど、後者はアプリになれば、ユーザーには同じ土俵にいるようにしか見えない。この本を手に取るまで、私自身も「辞書は収録字数が多い方がいい辞書」程度の認識しかなかったのだから、ユーザー全員にそれ以外の観点で選ぶことを強いるのも酷な話だ。実例主義と中学生にも分かりやすい語釈が、辞書の魅力のひとつとして一般に受け入れられる時代は来るのだろうか。

読者からの感想が原動力になるだけでは、辞書の編纂は務まらない。脳内で言葉による世界の模型を作ること、その作業に終わりはないことを喜べる「言葉の変態」でなくては。そういう意味で、著者にとって編纂の仕事は天職に他ならない。