第一話 夏目漱石『漱石全集・新書版』(岩波書店)
私が主人公の立場だったら亡き祖母のことを嫌いになるし、自分の名前も嫌いになるかもしれない。潔癖すぎるだろうか。
祖母と田中嘉男の物語を、暗喩的に知ろうとする大輔は勇気があると思う。
でもそうか、記憶に蓋をして知らないフリをしても、余計に苦しくなるだけか。
第三話 ヴィノグラードフ クジミン『論理学入門』(青木文庫)
麗しい夫婦愛が描かれている。
最初の電話では妻と名乗ったのは虚言なんじゃないかと疑ったレベルでテンションがおかしかったけど、彼女の包容力がこの騒動を取るに足らない出来事にしてしまった。
本当の馬鹿は、自分のことを馬鹿と卑下しないと私は思う。本当の馬鹿には、自分を客観視する力が微塵もないから。
いつか夫が妻を瞳に映せなくなったとしても、最期まで添い遂げてくれるに違いない。
第四話 太宰治『晩年』(砂子屋書房)
志田さんの本が盗まれた事件が、まるごと最終話の前哨戦になっているのがいい。構成力に舌を巻いた。
他人の命を脅かすほど陶酔する気持ちは穢れだと思う。
救いがないのは、主人公と犯人に血縁関係があったこと。田中敏男がそれを知る機会はないだろうが。
最終話で燃やされた本が偽物だっていう記憶だけは、薄っすら残っていた。
犯人曰く、本当の本好きなら本を燃やすなんて真似はしないらしい。
私は人より本を読む人間だが、置くスペースの関係でほとんど電子書籍頼みである。
だから本が何らかの形で喪われることに、それほど哀切を感じない。
私はただの物語好きであって、本好きではないのだろう。
読書が好きな人と語り合うとき、「物語好き」なのか「本そのものも好き」なのかはお互い明確にしておかないと、会話に齟齬が生じると思った。
栞子さんと主人公の、言語化できない関係が好き。
主人公が栞子さんの信頼を得られていなかったことにショックを受ける前後の気持ちの変動も、栞子さんが信頼の証に『晩年』を預けようとした誠意も好き。
雨降って地固まる。そのうち2人の関係に名前がつくといい。