- 作者:村山 早紀
- 発売日: 2020/04/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
そして、昔命を慈しんだ自分を救済へと導く本。……なんて書くと怪しい新興宗教の本みたいだけど、違うんだよ。
特にレニ子ちゃんの生涯について書かれたページは、猫という動物の愛おしさを噛み締めずにはいられない。猫に限らず、赤ちゃん時代から立てなくなる頃まで、こんなふうに誰かの傍にいられたら幸せだろうか、とふと考えた。ああ、そうか。だからこれほどの不況の時代でも赤ちゃんを産む人がいるのか。自分の中で人より決定的に劣っているこの感覚が母性愛というものかもしれない、と思うなどした。
特に猫好きというわけではない私がこうなのだから、猫を崇め奉っている人が読んだら、それこそ仏壇に供えて拝み出しそう。
それから、私は数年後に小動物を飼うことを夢見て飼育本を何冊か読んだりしている。ペットロスに関する本も読まないとなあ、お別れを受け入れられる自分にならないとなあ、と思いながらもまだ手を伸ばせないでいるのだけど、村山さんがエッセイという形でそれに向き合っていて、「後悔を抱き続けるという、そういう愛も、あるんじゃないかと」という箇所で、救済を受けたような気がする。
春・あるとらねこの物語
涙で瞳が潤むのを止められなかった。悲しい物語ではないのに、泣きたくなる。人は幸せな時も泣くのだなあと思った。とら子が天に召されるその瞬間、傍らにこの親子がいますようにと願わずにはいられない。大人になった彼女が、一緒に暮らし始めた猫がもう会えないと思っていた猫だと気付く日が来ないとしても。長崎弁がいい味出してる。
夏・八月の黒い子猫
春の話と違って、子猫も主人公の友人も亡くなっているので、幸福感より物寂しさが漂う。子供の頃からの大志を叶えて、お金持ちになったのに、それでも消えない哀切はある。でも亡くした誰かを悼むのに、遅すぎるってことはないと思う(って他の人には思うのに、自分には当てはめられない)。
ひょっとして長崎弁だと「わい」で「あなた」って意味がある? 関東出身関東育ち関東在住だと、「わい」で「私」っていう認識しかないから戸惑った。『春・あるとらねこの物語』より方言がキツい気がして、隣に標準語の訳を書いてほしいと思ったけど、そんなことしたら情緒が壊れるもんなあ。
ラストシーンに現れた子猫はトラコの生まれ変わりだと思う。そう思っていた方が幸せだ。
秋・レストラン猫目石
店主=じいちゃんと連想させる展開が心地良い。あれでしょ、主人公は長崎で教員になって、後に梓ちゃんと結婚するんでしょ? 男女カプおばさんには分かってるよ。