読書記録

読んだ本の感想まとめ。

奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

農作物は自然の産物というよりも、ある種の石油製品になってしまった。現代の農業は、大量の化学肥料や農薬を投入し、農業機械を使わなければ成り立たなくなっている。

ハッとさせられた。第一次産業は自然と共存する仕事だっていう意識があったけど、人為的なものが加えられている時点で、人は自然の営みを蹂躙しているのだな。化学肥料や農薬が作れなくなったら世界の農業は死ぬだろう。大量生産ができなくなる。

安全なリンゴを作ることと、安全にリンゴを作ることはまた別の話だ。

農薬散布のガイドラインを準拠することで安全なリンゴを作ることはできても、農薬を何十回と散布する農家の安全は保障されていない。リンゴそのものではなく、作り手の安全なんて考えたこともなかったな……。

日米修好通商条約批准の特使が苗木を持ち帰るまでは、小さくて渋い「和リンゴ」が常識であり、大きくて甘い「西洋リンゴ」は非常識で革命的な品だったとのこと、驚かされた。現代で親しまれているリンゴの歴史、意外と浅かった。

木村さんが自分の生を終わらせるために登った山で無農薬栽培の突破口が見つかるなんて、最大級の皮肉。闇が光に一瞬で塗り替えられたその夜のことと、愛する家族諸共貧窮に晒された5年以上の歳月を笑って話せるようになるまで、どれくらいの年月が必要だったのだろう。

木村が過ごした苦労の年月は、結局のところ自分の心でリンゴの木と向かい合えるようになるために必要な時間だったのかもしれない。

これは苦労の日々から幾星霜が経ったあとに本人がそう悟ることはあったとしても、他人が言っていいことではないと思う。誰かの並々ならぬ努力や尋常ではない苦労に対して、軽々しく憶測の言葉を口にするべきではない。それは本人に軽侮として伝わりかねない、危うい言葉だと思う。

「雑草」というものの存在については、自由研究を通じて雑草と戦い続けた小学生の言葉を借りれば、

“雑草”かどうかを決めるのは、いつだって人間の心

今まで雑草と戦ってきたのが間違いだった。これからは雑草と共存していくことを決めた

という結論が導き出せる。時代は違えど、木村さんも同じ結論に辿り着いたのだ。
人間は自分にとって都合の悪い植物を「雑草」と一括りにして忌避するけれど、農作物にとってその草が「雑草」かどうかなんて誰も言質を取ってないんだよな。当たり前だけど。
我々は自然の営みに対して少々傲慢が過ぎる。これは人類全体の原罪だと思う。
nlab.itmedia.co.jp

「私の船に乗りなさい」私がこの本のキャッチコピーを選ぶとしたらこれしかありえない。この言葉の真意は、熟読しないと分からないと思う。

農薬がこの世に誕生して以降、億単位の人間の命と引換に、どれだけの土壌を蹂躙してきたのだろう。無農薬無肥料の農作物が当たり前にスーパーに並ぶようになるまで、何十年かかることやら……。
時代を牽引する人は、目先の利益に囚われずに、何十年も先の民の未来を案じている。いやはや、頭が下がります。