普段耳にする「普通」は蜃気楼のようなもの。人をカテゴライズし、タグ付けすることが可能だった時代のままずっと来てしまった日本人は、ある意味で時代遅れな民族なのかもしれない。
三章以降を読んで「じゃあ明日から社会運動をしよう!」となる人はそういないだろう。そんな大袈裟なことじゃなくて、SNSでちょっとした意見を言いたい時の勇気になったり、買わない選択の後押しになったり、そういう「根っこにある意識の改革」が起きれば、この本を読んだ意味はあったと思う。
普段耳にする「普通」は蜃気楼のようなもの。人をカテゴライズし、タグ付けすることが可能だった時代のままずっと来てしまった日本人は、ある意味で時代遅れな民族なのかもしれない。
三章以降を読んで「じゃあ明日から社会運動をしよう!」となる人はそういないだろう。そんな大袈裟なことじゃなくて、SNSでちょっとした意見を言いたい時の勇気になったり、買わない選択の後押しになったり、そういう「根っこにある意識の改革」が起きれば、この本を読んだ意味はあったと思う。