ドレスコード
佐々目と毛利さんとの再会に小躍りした読者は、私だけではないはず。毛利さんが栄養教諭としての立場を確立していて、冒頭では遠い存在に感じる。が、酒を飲みに乗り込んできたあたりから距離感は消滅する。
実質学院の長ではなくシスターが実権を握っているイメージが戒律の厳しい宗教系お嬢様学校にあるの、なんとなく分かる。シスターに隠れて違反を犯す生徒達がいるのも。古畑任三郎の「笑わない女」とイメージが重なるのかもしれない。
オーダー
入江が寄越した菓子といい、「神」のホテル給食の感想といい、オブラートに包まれた言葉の真意に背筋が寒くなる。中学生は、大人をあしらったり欺いたりできる年齢だ。
募金活動をする生徒達に野次を飛ばした男は、相手が男子生徒だったら声をかけていないと思う。力でも言葉でも確実に勝てると判断できる人間にだけマウントを取る。家でも家庭でも相当抑圧されている男なんだろうね。だからってストレスの捌け口をまったく関係ない人達にする道理はないけどね。脳内でタコ殴りにしたよザマア。
外の世界に怯えて、反抗して、諦念が生まれて。ずっとその繰り返しで、先生達もみんな卒業生で、白蘭生はいつ外の世界で揉まれる機会を得るのだろう。かといって、共学の並の学校でなら様々な価値観に出会う訓練ができるのかといえば、そんなこともないのである。特に高校に入るとある程度学力も家庭の経済状況も足並みが揃ってくる故に、固執しがちな気配すらある。学生時代の世界の狭さに呆然とする。
ゲスト
指示待ち態勢=お嬢様だから、と解釈している佐々目達に違和感を覚えた。富豪庶民関係なく、「親や教師が先回りして指示したり与えてくれる環境下で育った子供」なら漏れなく指示待ちの傾向があるように思う。そもそも私立公立にかかわらず、学校という施設ではほとんどが教師から生徒への施しで回っていて、生徒はどうしても受けの態勢にならざるを得ない。だから自分から動けない。「お嬢様」に限った課題ではないと思う。